--年--月--日 --:--

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消せます。

2010年12月18日

2010年12月18日 00:00

日本人は自国の歴史についてあまり関心がない、としばしば言われる。小中高を通して日本史を学ぶ機会があるが、授業を聞いてもしっくり来ない思いをした人がいるかもしれない。その理由として、日本は島国であることが大きく関わっていると思う。地球レベルでの「田舎者」とでも言えばいいのだろうか、日本人は外部に対しての関心が薄く、確固たる「国民意識」が芽生えないまま数千年の時を過ごしてきたような気がしてならない。

この国民意識は、民主主義の本質をなすものである。行政権力が権力を行使できる正当性は、終局的には国民に求められる。国民が選んだ代表者(国会議員)が制定した「法律」が行政権力行使の根拠であるから、国会議員を選んだ国民は、その法律を守らなければならない。このように書くと「一票の重み」を感じられるのではないだろうか。ただ選挙に行って投票して帰ってくる、というルーチンワークでは片付けられない何かが、そこにはある。

高裁レベルで「投票価値の平等」に関する判決が相次いでいる。先の参議院選挙では一票の格差が5倍。これを著しい違憲状態だとしている。人口の偏りを考慮しても、この投票価値の不平等は是認しがたいだろう。その点でこれらの判決は妥当である。しかし、国会は選挙制度の改正や議員定数の見直しには手を付けようとはしていない。自らの「椅子」を失うようなことはしたくないという理由は分かりきっているが、これでは「一体誰のための政治なのか」という問いに答えが出なくなってしまう。



2010年の更新はこれで最後になります。2011年もよろしくお願い致します。

2010年11月10日

2010年11月10日 00:00

政府は、尖閣諸島中国漁船衝突事件のビデオ映像が流出した事件について、流出者を特定するための捜査を本格的に始める姿勢を示した。

今や、衝突の瞬間はほとんどの国民が見る周知の事実となった。そして、インターネット上では拡散が進み、世界中に広まった。この映像について、どのような感想を持つかということは各人の内心に委ねられることになるが、大多数の人には「明らかに中国船が当ててきた」と映ったと思う。そして、「日本政府がこれを非公開と判断した意味がわからない」と思うのではないだろうか。そもそも、流出した44分間の映像を見る限りにおいては、非公開とするようなやましいものが日本の海上保安庁巡視船には全くないのである。

政府はビデオ映像を「外交カード」として持っておきたかったのだろうか。衝突の翌日には編集されたものが完成していたというのであるから、そのビデオが上がってきた時点で公式発表すべきだったと私は思う。そして、国内・海外に向けて「当てられた」というメッセージを大きく発表すべきだった。それができなかった政府・民主党は腰抜けと言われても仕方ないだろう。これは民主党政権最大の「不祥事」として捉えるべきである。

外交を執り行うことができない一般の国民のためにも、真に国民の利益になる外交を展開してもらいたい。これは国としての危機である。「政治主導」や政権与党の面子にこだわっている場合ではなく、「日本のため」を思った行動が不可欠だろう。もしそれができなければ、「中国に媚びへつらう、日本の政党の形をした中国の手先」と言われても、彼らは何も言い返せないのではないだろうか。

2010年09月17日

2010年09月17日 00:00

薬物事件が後を絶たない。

3日から14日にかけて、押尾学被告の保護責任者遺棄致死の疑いによる刑事裁判が裁判員裁判によって開かれた。芸能人初の裁判員裁判ということもあり、連日報道された。裁判官・裁判員には、被告が「芸能人」という先入観にとらわれない公正な判断、その疑いをかけられた罪そのものに対する正しい判断を求めたい。ところで、この裁判において「薬物(合成麻薬MDMA)の入手ルート」は明らかになっていない。この事件は薬物の入手ルートが明らかにならなければ真の解決とは言い難い。

不思議なもので、薬物に興味を持った者はどこからでも薬物を入手してしまうらしい。12日、神戸の中学3年の女子生徒が大麻所持で現行犯逮捕された。「なぜ中学生が・・・」と、普通の感覚では信じられない話である。薬物汚染がこの年齢層まで広まってきているという事実を深刻に受け止めなければならない。

薬物の最も恐ろしいところは、その依存性にある。覚せい剤などは依存性がきわめて強い。一度手を出したら一生それの虜となってしまう。止めろと言われて止められる代物でないというのが薬物を規制する合理的な理由である。「一度だけだから」というのは「甘え」である。絶対に薬物に手を出してはならない。薬物に手を出すことは身の破滅と同義である。

16日、タレントの田代まさし容疑者がコカイン所持容疑で現行犯逮捕された。容疑者はかつて複数回逮捕され、懲役刑にも服した。またしても薬物所持容疑での逮捕である。もう二度としないという決意はどこへやら。信用を失ってしまっては仲間の応援を得ることや復帰することは困難だろう。薬物に手を染めた者の末路は悲惨なものしかない。

国際的に見れば、薬物犯罪で死刑になる国が複数存在している。所持だけで死刑という国もある。薬物は依存性が強く、薬物欲しさに事件が起こったり、錯乱状態の者が関係のない一般人を襲撃することもある。薬物犯罪に対して重い刑を科す国は、薬物によって社会が混乱する危険性を重く受け止めている。端的に言えば、薬物依存者はその動機が何であれ、異常者(アブノーマル)とラベリングし、彼(彼女)らが大事件を起こす前に始末してしまおうという体制である。強烈ではあるが、薬物に全く関係のない大多数の一般市民が安心・安全に暮らすための手段としてはあながち間違いではないのかもしれない。

2010年09月05日

2010年09月05日 23:00

しばらくの間、更新をお休みします。

更新再開は10日後くらいになるかと思います。

開始早々の更新停止で申し訳ありません。

2010年09月04日

2010年09月04日 15:00

「育ちのよさ」という言葉を耳にしたことは一度や二度ではないだろう。この「育ちのよさ」はどこから来るのだろうか。私は「育ちのよさ」は必要最小限の礼儀作法からにじみ出るものだと考えている。どこの家の出身とかそういうものではない。いい家庭の出身の人はそれ相応の礼儀作法の教育を受けており、その結果として「育ちがよい」という風に言われるのであろう。

必要最小限の礼儀作法は実に簡単に外部に漏れてしまう。物を置くときに必要以上に物音を立てていないだろうか。テーブルの上に物を置くとき、できる限り音を立てないようにしなければならない。音を立てると、イライラしているわけではなくともイライラしているように感じ取られてしまうという。飲食店で料理を出されるときに店員がどのように料理を置くか観察してみるとよい。静かに置かれると丁寧な印象を感じるだろう。逆については言わずもがなである。

「波風を立てない」という精神はまさにここにあるのかもしれない。自己主張の弱い日本人的発想ではあるが、がさつで繊細さに欠ける行動は好まれない。相手に不快な感情を抱かせない、相手を思いやる精神が「育ちのよさ」に繋がると言えるのではないだろうか。何も難しいことはない。少し自分自身の生活習慣を見直すだけでよい。私も少しばかり振り返ってみようかと思っている。